2009年02月17日

思い起こせば・・・

思い起こせば、ハタチのとき。

ちょっとからだの具合が悪くなり、
はじめてまたいだ、産科・婦人科の門。

まだうら若きオトメだったわたし。
できれば女医さんがいい、とただそれだけで、
近くのふる~い産婦人科のクリニックに行ったのでした。


そこは、内診室などない、ふる~いクリニックで、
だだっ広い分娩室の、まんなかにど~んと置かれた分娩台に、
自分で足を乗せてひらいて、診察を受けたのでした。

いまだったら、自動的に足をあげてくれる内診台が
ふつうの設備だと思うのですが。。。

あの、なんとも言えないクツジョクカン?
なんせまだ、ハタチでしたので、とても恥ずかしかった。
この体験で、分娩台が苦手になりました。


体の不調自体は、たいしたことなかったのですが、
おばちゃん(おばあちゃんに近い?)先生は、あっさりと、

  「あんた、妊娠しにくいわね~」

と、こともなげに言いました。


子どものころから、子どもをがほしかったわたし。
よい子が産まれるからと言われ、
中学のときから、せっせとトイレ掃除をしていたわたし。


ずど~~~~んと、突き落とされた思いになりました。


そのあとは、よく覚えてないんだけど、
目の前が真っ暗になって、
家にまっすぐ帰る気にもなれず、
高円寺の繁華街を、ただ歩いて歩いていたように思います。


女医さんだから、デリカシーがある、と思って
なんの下調べもせずに、病院を選んだこと、
このときとても後悔したのでした。


でも、そんなわたしも、いまでは子どもを授かることができて。


わたしにとっては、とてもとてもミラクルなことです。


あのとき、「妊娠しにくい」と言われた器質的問題は、
年齢とともに、解消されたようでした。
いちおう、結婚前に、調べました。
セカンドオピニオンもしました。
だんなさんには、言ってないケド。


二十歳のとき、いろんなこと、覚悟しました。

あきらめる、というより、気持を展開させて、
切り替えるすべを身につけたし、
男の人を見る目、選ぶ目も、
この経験が大きく影響したように思います。


おかげさまで、素敵な、ふところの大きいだんなさんに、
出会うこともできたのだと、いまは思う、つれづれ日記でした。


  
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