2011年05月09日

今後、保障はどうなるんだろう。



これは、たんなるそれいゆのつれづれ日記です。
なんの参考にもならない、ただの日記。
情報などではありませんので、あんまりつっこまないでね。


わたしは、このままいったら県民は、
毎年健康診査を義務づけられるか、
健康診査に放射線による影響の項目も、入るのだろうと考えてました。


それを友人たちと話したら、
その可能性もあるかもしれないけど、
年間20㍉シーベルトを出して、それ以下は安全と言っているから、
あえて、そういうことはしないかも、という意見が出ました。

でも、こういった低線量被曝をつづけた例が、世界中でないのだから、
そのモニタリングのためにも、全員でないにしろ、やるかもしれない、
という意見もありました。


モニタリング・・・
これを、福島県の大人もこどもも、みな実験台になる、
という言い方をする人もいましたが、
現にわたしたちも、チェルノブイリの方たちのデータを、
頼りにしている部分もあるのだから、それは、
こういった立場になってしまった以上、
いたしかたない部分でもあると、思っています。


子どもたちも含め、年間の許容量を20㍉シーベルトに定めたこと、
わたしは、本当に納得できません。

その撤回をもとめた方たちの要請、官僚や政治家とのやりとりを、
動画で見ましたが、
これまで、散々テレビやニュースや、歴史の教科書で、
見てきたようなものと、おなじでした。


これを見ていて、
もし、数年後、病気を発症してしまったとしたら、
本当に保障がなされるのだろうか、とても疑心暗鬼になりました。



わたしは、福島第一からの放射線による影響と考えられる、
疾患に罹ってしまった場合、
保障はされるはず、って思っていました。

20㍉シーベルトを撤回して、避難させる手間や賠償などを考えても、
きっと発症した人への損害賠償の方が、
かかるものが小さいという判断があるんじゃないかって。
だからこそ、20㍉シーベルトという値が、どれだけ非難されても、
撤回しようとしないのかと・・・


だけど、20㍉シーベルトという基準より下回る地域の人や子どもたちは、
福島第一の影響によると証明できない、とかなんとか言っちゃって、
言い逃れして、責任逃れすることだって、考えられてしまう。

すご~くうがった見方をしてるな、自分、って思うけど、
「フクシマ」も、水俣病や肝炎訴訟などと、
おなじことになってしまう可能性も、否定できない、
いまの官僚や東電や政治家の方々の応対をみてると、
感じてしまうのです。


署名したり、提言したりしているけれど、
20㍉シーベルトという基準が、撤回されるのは、本当に難しいとが思う。

一度決まったことは、おかしいと思うことでも変えないのが、
官僚の体質、っていうはなしは、よく耳にすること。

確かに、菅政権は、浜岡原発の廃炉を求めたけど。
これは、全国の人がものすごい数の署名をしたっていうことも、
大きかったのかな。
やっぱり、強い民意があれば、変えられるのかもしれないけれど。。。


20㍉シーベルトを下げたら、計画的避難区域は増えるし、
学校等への対策も、ますます増えてしまうから、
国としても、これ以上下げたくないって思いも、あるのかもしれない。

内閣参与の小佐古教授が辞任したとき、
県民が混乱するといった佐藤知事は、本当の本心はどうなんだろう。
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20110507ddlk07040244000c.html


わたしは、お金や合理的・効率などよりも、いのちの方を、重視してほしいです。



福島大学の教職員の有志によるHPがあります。
http://fukugenken.e-contents.biz/
そのなかに、福島出身で宮城に在住、現在子どもを関西に避難させている、
東大研究員の方のメッセージがありました。


そこに、

「文科省が学校活動に関する放射線量の基準を示しましたが、
みなさんがどこかで気づかれているとおり、
これは子どもの健康を守るための数字ではなく、
避難させないための数字です。

避難にともなう費用や賠償を避けるという、国の都合を優先させました。」

と書かれていました。
http://fukugenken.e-contents.biz/information01

まさに、そうなんですよね。きっと。


小佐古教授の辞任による影響、そして、
将来、福島県の子どもががんになったとしても、
生活習慣など他の要因との見分けはつかず、
今回の放射性物質が原因かどうかは医学的に分からない。

と書かれている記事です。
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20110504ddm004070189000c.html


わたしは、安全かそうでないか、根拠のはっきりしない状況で、
国の勝手な都合に、ふりまわされるのは、まっぴらです。

県外避難することが、意思表示のひとつになってくれることを願ってます。



  


Posted by それいゆ at 23:50Comments(0)震災関連

2011年05月09日

我が家のこと その②



放射性物質と放射線、そして原発に関して、
本当にたくさんの意見・考えがあふれていて、
正直、何が正しく、信じていいのか、わかりません。

子どもがいる我が家にとって、これからもこの土地で、
子どもたちを健やかに育てていけるのか、
それだけが、本当にいちばんたいせつで、気がかりなことです。

原発反対派の人の中でも、
いまの線量だったら、子どもたちも大丈夫、という人もいれば、
いやいや危ない、という人もいます。
東京も危ない、といって転居している方もいるとか。

そして、原発推進派の中でも、
大丈夫という人もいれば、大丈夫じゃない、という人もいる。


付け焼刃と言えども、自分なりに放射性物質と放射能を理解したうえで、
感覚と、これまでのつたない知識とのなか、
一時的になるか、長期的になるかわからないけど、引越しすることを決めました。


うちの息子たちは、少し小さめで、100cmと70cmの幼児です。
地面に近い、ということは、大人より、高い線量にふれることになります。

1歳の次男は、いまはなんでも口にいれる時期です。
石ころやお花、汚染されたものを口にしてしまう可能性は、多いです。
4歳の長男は、お花を摘んだり、松ぼっくりやどんぐりひろいが大好きです。
いまは、お庭にもほとんど出れず、
保育園では、ほんの短い時間ですが庭遊びの時間、そういう遊びができません。

これがいつまで続くのか。
原発が収束されても、積もったものはそこにあり続ける。
放射性物質がある限り、安心できない自分がいます。


震災の少し前、産婦人科の先生と高校の教師との話を聞きました。
いまの30代以下のひとのからだに、変化がみられるというのです。

十代なのに、下腹部が出ている子が増えたこと、
椅子に座っている間、膝を突き合わせてすわり続けれない子が増えたこと、
難産が増えたこと。

これが、ファミコンが普及し始めた時期と重なる、
外遊びをしなくなったことが、関係しているのではないか、
という意見でした。

わたしが病院に勤めていたころ、
整形外科の先生も、おなじようなことを言ってました。


体を思いきり動かすことは、からだを育むうえで、
本当にだいじなこと。
集中力を養う上でも、だいじなこと。

もちろん、運動は室内でもできます。

いまだけなら、それでもいいのですが、
外で遊び、太陽にあたることで、
人間は、ビタミンDを生成します。
日光にあたることは、そういう重要性もあります。

確かに、ビタミンDだけだったら、ビタミン剤をのめば、補えるのかもしれません。

けれど、自分の子ども時代を振り返ると、
外で、遊ぶことで、冒険心や探究心を育み、
学ぶこと、調べること、そんな楽しさも、知って行った記憶があります。

だからこそ、自然のいっぱいあるところで子育てしたいと、
福島県にやってきて、うれしかったのですが、
いまのままだとしたら、
つねに、放射線による晩発障害などを心配しながら、
子どもを育てていくのは、精神的に、わたしには無理だと思ったのです。


放射線が細胞に影響をおよぼし、それを修復するのが免疫力なら、
免疫力を高める生活を、整えることが、
いま、母である自分にできること、とも考えています。

我が家は、もともと和食が基本。
ごはんとおみそしると、お野菜・お豆・海藻・お魚、そしてお肉、
どちらかというと、「茶色い」食事内容です。

長男を妊娠する前からも、気をつけていましたが、
妊娠してからは、なおさら、日本人としての体に合った食事を、
こころがけるように、してきました。
もちろん、かたよりすぎず、でしたが。

そういった積み重ねがあるので、
子どもたちの免疫力を、信じてもいい、という感覚が、
自分のなかに、あります。


だから、あせらず、引越し先を探したり、できています。
(夫は、内心ではハラハラしているかもしれませんが)

これは、あくまで、わたし自身の考えであって、
これが正しい、とか、強要するつもりはありません。

わたしの感覚で、自分のこころの声にしたがって、
そして、夫婦で話し合って、決めたことが、引越しする、ということでした。


がんばって、復興しようとしている福島をはなれることが、
本当に、後ろ髪ひかれるのですが、
そのためにも、夫を残して(笑)、片足をはんぶん残した感じで、
一時避難いたします。

わたしが、福島で得た友人のなかでも、引っ越した人もいますし、
残ることを決めている人も、多くいます。
迷っている人も、います。

たぶん、すべては結果論になるのだと思うのです。
だから、なにが正しくて正しくないか、わかりません。

だからこそ、わたしはわたしとして、
自分の感覚にしたがおうと決めました。
それができる環境に恵まれていることが、本当に幸いでした。
  


Posted by それいゆ at 02:02Comments(0)震災関連

2011年05月09日

我が家のこと その①



夫が、情報記事を多く流していたこともあり、
365では、ほとんど日記を書かずにおりました。
夫のブログにおいて、不愉快な思いをされたりした方がいらっしゃったら、
本当にごめんなさい。


「あまりあおるような内容は、やめた方がいいんじゃない?」
など、言ったこともありましたが、
子どもたちに、なにも起きなければそれでいいと思ってる。
もし何年かして、なんの被害もでなかったら、
非難や批判を、喜んでうけいれる、と言ってる夫です。
わたしも妻として、非難や批判があったら、
甘んじて受け入れるつもりでおりますので、
お騒がせしている部分があるとしたら、どうぞお許しくださいませ。


我が家は、子どもたちが4歳1歳と小さいため、
県外への引越しを検討しています。
単身赴任、というかたちになるかと思います。

引越しに際しまして、いろいろ探したり問い合せしたりもしまして、
何かの参考になれば、と思い、日記を書かきます。


不要な方は、スルーしてくださいね。
わたくしそれいゆの、頭のなかの整理もかね、
これまでの経緯もふまえ書くので、長くなるかと思います。



わたしと子どもたちは、3月12日の最初の水素爆発のあと、
東京の実家に避難しました。

どの程度の爆発かは、その時点ではわからなかったけど、
多少なりとも被曝の可能性が考えられたので、
原発が落ち着くまで、また、最悪のことも可能性として考えると、
今後のことも、考えるためにも、避難しました。


あいかわらず、原発の収束のめどはたっていませんでしたが、
県内の線量がある程度下がっていたため、
3月30日に、須賀川の自宅へ子どもも一緒に戻ってきました。
この時点で、夫婦の間では、引越しする方向に、気持ちは向いていました。


当初、栃木県の那須近辺はどうか、と探しましたが、
那須も意外と数値は高めであり、今後の累積も考えられるので、
やめました。

札幌や、広島、岡山など、友人たちが声をかけてくれましたが、
なるべく、福島から遠くない範囲がよかったので、
お断りさせてもらいました。


それから、実家の東京にひとまず戻ることも考えましたが、
震災後避難したとき、近所に買い物に出かけたら、
スーパーやドラッグストアなどが、からっぽになってました。

お肉も牛乳もお米もペーパー類もなくなってて。
なんで、東京で?って、それがすごいショックで。

なにかあったとき、都会は怖い、って思いました。
それにいまは、意外と線量が高いので、やめました。


自然エネルギーによる電力自給率160%の、岩手県葛巻町なんて、
原発の福島からの移住も、すてき~と考えました。
葛巻町は、町への移住を推進しており、
定住者への15万円(子どもがいれば、一人につき+5万円)の支援が
受けられます。


ただ地理的にも、夫が通いやすい新潟県がいいのでは、
と今は新潟県が、候補地のひとつになっています。


また、越後湯沢の湯沢町では、
避難者の避難先を旅館やホテルでしてくれており、
我が家では、もしも原発の爆発や、
空間線量の上昇時などは、
一時的な避難先をこちらに決めています。
http://www.town.yuzawa.niigata.jp/pcp_portal/PortalServlet;jsessionid=CC7AE48FC0A9F499CCD1B2BB24B76526?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000000


もうひとつ、候補にあがっているのが、
長野県松本市です。

夫がツイッターで、福島県民の放射能被曝からの避難を
受け入れを始めたという情報を得たため、調べてみました。


松本市では、15歳以下の子供がいる家庭には、公営住宅や職員住宅を
1年間無料で、最長2年の間提供してくれるとのことです。


福島に家もあり、そのうえ住宅ローンなどがある方は、なかなか
金銭的にも避難しにくい部分もあるかと思いますが、
1年間でも無償で提供してくれるのであれば、
とてもありがたいと思います。
http://www.city.matsumoto.nagano.jp/touhoku/hinan/ukeire/index.html


なぜ松本市がこのような体制があるのかと思ったら、
市長さんが、もともとチェルノブイリ事故で被害にあった子どもたちへの
医療支援活動をされていたドクターだったということです。
http://www.city.matsumoto.nagano.jp/aramasi/sityo/puro/index.html



いま、県外での福島県民への差別が、問題になってたりします。
公園で遊んでいた子が、放射能がうつる、と言われたり、
新潟の長岡では、福島から転校してきた子が蹴られ、
入院したというニュースもありました。


もし、避難するのであれば、やさしいところがいい、
放射能に対して理解があるところがいい、
これはわたしの本音です。

先日の統一地方選挙での、原発推進派が多く選ばれたことも、
そういう人を選ぶ有権者の多い土地には、行きたくない、
その思いを強くしました。


自分の住む福島県が、「フクシマ」とカタカナで書かれていることがあって、
それがとてもショックでした。
昔から、大好きで何度も旅行に来ていた福島県。
その町に、お嫁にこれて、すごく幸せだったのに。


そんなわたしが、夫とともに引越しをすることを決めた理由を、
また次の日記で、書きたいと思います。


  


Posted by それいゆ at 01:43Comments(1)震災関連